兵庫県の南東部に位置する西宮市は、大阪湾岸から六甲山地の北部にいたる南北に細長い街で、大阪と神戸のほぼ中心にあります。
そのため、大阪と三ノ宮どちらにも電車を利用すると15分程で行くことができ、その利便性の高さから人気の街です。
また、利便性が高いにも関わらず、六甲山や鳴尾浜など自然が豊かなことも人気がある理由です。
今回は、そんな西宮市の中でも歴史深い街「鳴尾」についてご紹介します。
飛行大会が開かれていた!民間飛行発祥の地として知られる鳴尾
西宮市の東南に位置する鳴尾は、甲子園球場や武庫川女子大学があることで知られていますが、実は民間飛行発祥の地としても有名です。
昔、甲子園球場から南一帯は競馬場でした。
その広大な敷地を利用して、大正6年まで8回の飛行大会が開催された歴史があります。
明治44年には、関西で初めてとなるカーチス式複葉機の飛行が大阪城東練兵場でアメリカ人であるマース氏によって披露され、その一週間後には鳴尾競馬場でも披露されました。
また、鳴尾競馬場では大正2年に米国帰りの武石浩玻氏のデモンストレーションが行われ、その翌年には、日本初の民間飛行大会が鳴尾競馬場で開催されました。
このことが、鳴尾が民間飛行発祥の地だといわれる所以です。
その後、鳴尾競馬場は軍需工場から米軍キャンプ地となった後、その跡地は浜甲子園団地となっています。
鳴尾は綿作りでも有名!街歩きを通してみる鳴尾の歴史
鳴尾の街を歩いていると、鳴尾の歴史を感じられるスポットが点在しています。
例えば、鳴尾はもともと湿地帯だったため、高い場所から人が住み始めたという歴史があります。
鳴尾の路地を歩くと、一段高いところにお寺が建てられていたり、路地の入口が少し高くなっていたりと、今でもその名残を感じることができます。
また、鳴尾の路地は馬車がやっと通れるくらいの細さだったため、その馬車から屋敷を守るために作られていた石の囲いが今も残る場所もあります。
加えて、鳴尾は綿づくりの街としての歴史もあり、今でも布団屋さんの看板が多く残っています。
しかし、鳴尾の綿はとても品質が良かったようですが、明治29年の台風や外国産の綿の関税が廃止されたことなどを理由に衰退してしまい、後の産業として鳴尾一帯はいちご畑となった歴史があります。
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まとめ
鳴尾の魅力は、迷子になりそうなほど細くて入り組んだ路地裏歩きです。
昔ながらの大きな屋敷や土蔵など、鳴尾の歴史を感じる建物に出会える街歩き。
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